rina ishitani

文 - ふみ -

食事制限のはじめて

2013年 中学1年 初夏

 

毎年夏はチューペットや氷を頬張る。もちろんアイスクリーム、ソフトクリーム、かき氷なども時々食べる。でも生理痛となってから迎える初めての夏、例年のように氷を頬張るとしばらく後にキツイ生理痛が来た。生理痛対策の基本のキ、体を冷やさない・冷たいものを食べない。という訳で、中1の夏以降冷たいものは中々食べれなくなった。

昼間にエアコンをつけない我が家で、冷たいものを食べないといのは耐え難い気持ちだった。食べたくて食べたくてよく冷蔵庫の前に立っては苦悩していた。時々耐え切れず小さい氷を食べたり、ハーゲンダッツ1つを10回以上に分けて食べてみたりした。その後生理の周期に関係なく必ず腹痛となる。自分を責めると同時に嘆きたくなったものだ。

外出時にもアイスを食べるか?と母に聞かれる場面がある。グググと唸る音がしそうな心で我慢をするのだった。今思うと怒りも幾分か含まれていたなぁ。でも我慢する時もあれば、我慢できない時ももちろんある。そういう時はやはり後になって自分で自分を叩くのだった。

 

なんにせよ、「食べること」に異常が生じるのは大きな問題だった。苦しいことだっただろう。私にとって「食べること」は「生きること」そのものだったから。

 

2023/3/31

生理痛のはじめて

2012年 小学6年生

 

初潮。よりも前のおりものと生理の間のようなものが来た。

まだまだ生理は来ていない。なのに、もう生理が来たんじゃないかと思うほどの腹痛だった。

まだ我慢できる。でも今がこれで、

『生理が来たらどうなってしまうんだろう…』

 

 

 

2023/3/31

 

頭痛のはじめて

2012年 小学6年

 

母方の実家で、一つ下の従弟と叔母がリビングの机にいる。学校の宿題を母親に教えてもらいながら取り組んでいるようだ。親戚が囲んで食事ができるほどの広い机に、コンパクトなスタンドの明かりを乗せ、ノートやらドリルやらを広げている。

勉強が行き詰まっているのか、従弟はしかめたような顔をしている。

「頭が痛い」

と言う従弟。それを聞いて従弟に頭のマッサージをする叔母の様子を、通りすがりに見る。

 

『私も頭が痛いのだけどなぁ』

ぼんやりとそんなことを思う。

 

 

 

--------------------------------------------------------------------

おそらく頭痛が一番長い付き合い。始まりは覚えてないけど、この記憶からして少なくとも小6の時には既にあったようだ。

頭痛は大人がよく持つイメージだった。小6の自分が言ったところでまともに取り合ってくれないだろうと思い、あまり人に伝えることなく自分の中で思考を完結することが多かった。

2023/3/27

触覚過敏のはじめて

「…のはじめて」

身体にまつわる変化や症状のあれこれ、覚えている中で最も古いそれの記憶を書き綴る。

 

 

2017年初夏 高校2年

 

冬服から夏服へと衣替えをした。夏用のスカートは短めにしてあるから、いつもよりスッキリと身軽で少し気分も上がる。

駅に着いて、高校へ向かって歩く。

建物から日の下へ出る。

 

数メートル歩いて太腿の裏に違和感を覚えた。気のせいだろうか、と思いつつそのまま歩いた。スカートの裏に何か引っ付いているのだろうか。先ほどよりも感じる違和感にどうにも気のせいとは言えず、スカートの裾裏を確認した。

 

何の変哲もない、ただの布だった。

 

どういうことだろうかと頭をひねりながら、また歩き続けた。

違和感は増した。痛みを感じた。どんどんどんどん痛みは増した。何度も何度も立ち止まった。何度も振り返ってめくってはスカートを見た。

歩く度にスカートは腿を擦る。

歩く度に沢山の小さな針が腿に刺さる。

絶対に何かある。このスカートの内側にはバラの棘が巻き付けられている。

そんな物があるはずないし、仮にあったとしても棘程度でこれほどの痛みにはならない。

分かっていても、スカートを確認せずにはいられなかった。

同じ制服を着た人達が流れて行く。何度立ち止まって見ても変哲のないスカートと、増え続ける痛みに、訳の分からないまま学校への道のりを進んだ。

 

 

私はアトピー体質だったから、また調子を崩して皮膚が弱ったりしたのだと思った。しばらくすれば肌が赤くなるなり異常が見られると思った。でも肌にそれらが見られることはなく、いつもと何も変わらず、きれいでごく健康的な肌のままだった

だから初めは保健室に行くつもりはなかった。見た目に何もなければ対応もできないだろうから。

しかし学校に着いた後にも痛みは増し続けるものだから、やはり一限目の授業が始まる前に保健室に行っておくことにした。

そしてその判断は賢明だった。

廊下を歩き、2階から1階へ降りる頃にはもうまともな歩き方は出来なかった。

少し薄暗い階段を手すりに摑まりながら降りきる。喧騒のないコンクリートの上を一歩一歩と進む。耐えながら足を引きずる。

あと数十メートルという距離なのに、随分な時間を使ってたどり着いた。

 

 

保健室では先生が足に包帯を巻いてくれた。スカートに触れるのが痛いのなら、直接触れないようにすればいいのではないかと試したところ、ぐっと痛みが減った。安心して体の力も抜けた。体操ズボンを履くという提案もしてくれた。たしかにその方が確実だけど、中学の頃のようにスカートの中にズボンを履くことはもうしたくなかった。

そうして先生に礼を言って、しびれのように痛みの残る足で教室へ戻った。

 

もっとも、下校する頃には体操ズボンを履き。

その体操ズボンも数日後には着れなくなったのだが。

 

 

2023/3/23