2023/7/22 伝える
未だに『伝えることの意味』は分からない
だからこそ、これらの文を書いているのかもしれない
でも高校生の頃はもっと分からなかった
「痛い」とか「しんどい」とか
何気ない日常会話で、ちょっとした独り言で
ぽつりぽつりと零せばよかったのに
重い言葉としてではなく、流れる日々に乗せて
言えばよかったのに
ここからここは言わないと引いた一線の内側がどんどん増えて、膨らんでいき
気づいたときにはもう手が付けられず、固く口を閉ざした。
『言って現実がどうこうなる訳じゃない』
と、伝えることの必要性がわからなかった。
そんな自分に今言葉を送れるとしたら
「誰かのために、何かのために伝えなくていい。
自分のために言葉を紡いでいい。」
と言うだろう。
弱さを明かすこと
柔らかく受けとめて、通り過ぎること
自分の心の声を許すこと
それが今の私にとっての強さ。
2023/7/22
2023/8/6 私と作品
最近見たり読んだりした作品の中で、今の私のエッセンスとなっているものを幾つか紹介します。
あの子の子ども
高校生の妊娠を巡る物語。どんな年齢や立場の人にもおすすめできる漫画。一コマ一コマが愛おしい。
あの子の子ども - 蒼井まもる / 【第1話】予兆 | マガポケ
この作品だけ全く最近ではなく小学生の時に読んだ小説だけど、この題目でこれ無しには語れない! 小中学生時代の自分に拠り所となってくれた一作。
『獣の奏者』上橋菜穂子|BOOK倶楽部特設サイト|講談社BOOK倶楽部
終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?
アニメ最終話しか観ていないけど、女の子の語りが印象に残る。心に絡む。
TVアニメ「終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?」公式サイト
僕たちの哲学教室
北アイルランドのドキュメンタリー映画。時代は移り、そこに生きる世代がいることを感じ考えさせてくれた。
過眠症のはじめて
2015年冬 中学3年
数学の授業。演習の時間。
問題を解いていると睡魔が来たため、
机にふせって寝ていた。
どれくらいか経って、少し意識が浮上したとき
他の子達は粗方問題が解けたのか、席の近くから話し声が聞こえてきた。
りなちゃんって真面目そうなのに、なんか意外と寝たりするんだね
3,4人でのそんなような会話だった。
『
?
寝ることの、どこが不真面目なのだろう?
』
寝ぼけた身体でそんな疑問を浮かべつつ
再び意識は落ちていった。
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過眠症は主に高校生の頃に出た症状。しかし中学でも高校でも、終始周りの言っている意味が分からなかった。
理解する気はなかった。周りの言葉も。自分のことも。
それほどまでに疲れていたとも言えるかもしれない、相手を見る余裕と気力はなかった。高3にもなれば薄々気づき始める部分もあったが、やはり自分を信じることも、自身を大切にすることも出来なかった。
結果盲目に我慢する手段を選んだ。一度選べば、もうただそれに固執するばかりだった。
私を取り巻く環境が変わりつつあっても、私の選択は変わらないままだったのだ。
2023/7/18
視覚過敏のはじめて
2013年 中学1年生
雨が降り出したようで、同級生達が廊下の窓に集まり外を覗く。
つられて私も駆け寄り、友人の横に並んで空を見上げた。
,1,2
ズキンと眼球の裏に痛みが走る。思わずしゃがみ込む。
痛みが過ぎたのを認識して、目を覆っていた手を降ろす。
白黒の制服を纏う列に再び加わるべく、下を向いたまま立ち上がる。
ゆっくりと、顔を上げて空を見る。
灰色の雲だった。
2023/7/9
2023/6/10 -触覚過敏について-
今日までの気持ちを、短い声にしておいておこうと思います。
食事のそれから
2013年(?) 中学1年 冬
幼稚園からずっと使っている木椅子に座る。リビングで食事をするときは、長方形の机の短辺側に私は座る。右手が母、左手が手前から兄、父の座る場所だ。
ここのところ生理痛が止むことがなかった。波はありながらも一定値を下回ることがなく、生活に支障が出る程ではないものの、腹痛のない時というのが無くなってしまった。
下腹部が重く痛い。住み着いたように取れることはなかった。
ご飯。味噌汁。おかず。机に並んだ湯気立つそれらを見ながら思う。
『ああ、もう私は「お腹が空く」ことはないんだ』
2023/4/6
2023/3/19
「物として扱っているようで嫌だった」と呟いた彼に
「そういうもんだよ」と私は答えた。「そこまでの話じゃなくても、女を物として扱うのは生活に染み付いたごく普通なことだよ」と。
久々に高校の同級生と会って、日常の疑問から始まるジェンダーやフェミニズム?の話を初めのうちしていた。会ったときは真昼だったというのに、話していたらすっかり暗い時間帯になった。
帰り自転車を漕ぎながらぼんやりと冒頭の会話を思い出していた。
『…………、なんてことを言ってしまったんだ。』
もしそこに私がもう一人いたらきっと
「はぁ!?そういうもんってどういうこと??!何それまじで意味が分からん。え?え?多数が正義な訳でもないのに、そういうもんって一体全体どういうもんだよ!!」
といった具合に怒って私に言い返しただろう。
歪な形の中にいる人にとってはその歪さが当たり前だ。加えて自分を守るために積極的に当たり前と思うようにする。
私は「物として扱うこと」を肯定していた。受け入れていた
2023/4/8